| 醍醐の花見 (醍醐寺は世界文化遺産に登録されています) |
![]() 仁王門(西大門) |
| 慶長3年(1598)の春、太閤秀吉が秀頼、北政所、淀殿、 それに大名の長束正政家など約千三百名を従えて催した 「醍醐の花見」にちなんだ「豊太閤花見行列」がありました。 |
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| 総門(地下鉄醍醐駅から徒歩15分くらいです。 地下鉄の駅から、すごい人で、その人波に流されて歩くと、 迷うことなく、自然にたどりつきました) |
おお!!桜のトンネル 満開の桜で、空が薄桃色になっていました。 花に酔うとは、この感じかな? |
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| 三宝院 唐門(国宝) 永久3年(1115)醍醐寺第14世座主勝覚(しょうがく)僧正の創建。 ここから、行列が出発します。(午後1時より) |
仁王門(西大門) そして、行列は、仁王門から、金堂のある下伽藍へ (ここからは、有料になります。大人ひとり600円) |
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| 仁王門を入ったところです。 行列を追っかけました。 |
金堂前では、秀吉さんたちが、観覧できるよう 特設舞台があり、そこで、 雅楽の舞や、狂言・日舞が、披露されました。 |
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| 日舞 | お豆腐狂言でおなじみの茂山社中による狂言”しびり” |
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| 宴も終わり、帰路につく行列。(もと来た道をもどります) その宴では、女房衆が秀吉の何番目の連れあいかと 言うことで言い争いになった有名な「醍醐の花見の盃争い」が、ありました。 秀吉はその盛大な宴のあと5ヶ月後の8月18日に他界 。これが最後の花見となりました。 |
当日の秀吉は、愛息の秀頼をはじめ、一番に正妻の北政所、 次ぎに秀頼の生母の西の丸殿(淀君)、 三番に松の丸殿(京極氏)、四番に三の丸殿(織田氏)、 五番に加賀殿(前田摩阿)の順で妻妾を御輿で従わせ、 その家族や侍女、さらに側近衆や諸大名までも同行させました。 |
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| 今年の秀吉さんは、”サクラクレパス”の社長でした。 | |
| 桜も見頃をむかえ、花見客と行列見物の観光客とで、境内は人、人、人でした。 ちょうど、私たちが、仁王門に入ろうとしたとき、友人が私に「拝観料いくら?」と聞いたのですが、私も知りませんでした。 そしたら、拝観を済ませた見ず知らずの観光客の人が、グッドタイミングで「600円」と、返答してくれたり、 また、「今何時?」と聞くと、隣で行列を待っていた、これまた、見ず知らずの方が、間髪を入れずに、 「12時40分 行列まで、あと20分やなあ」と答えてくれました。おもわず、笑ってしまいましたが、ちょっと、あったかくなりました。 少し世話好きなこの現象は、関西限定なんでしょうかねえ? |
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| 毎年4月第2日曜日に開催。 | |
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←国宝の五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために 朱雀天皇が起工、村上天皇の天歴5年(951年)に 完成した。 京都府下最古の建造物で内部の壁画は 日本密教絵画の源流をなすものといわれています。 |
![]() 清龍宮本殿 |
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![]() 弁天堂 |
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| 真言宗醍醐派総本山醍醐寺は、聖宝理源大師が貞観16年(874)に 上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得、 小堂宇を建立して、准胝(じゅんてい)、如意輪の両観音像を安置したのがはじまりと伝えられています。 延喜7年(907)、 醍醐天皇の勅願寺となり、 薬師堂や五大堂が建立され、上醍醐と呼ばれています。 また、三宝院を中心に、国宝の金堂、 京都最古の塔である五重塔が建つ付近を下醍醐といいます。。 |
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| 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22 |
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