錦秋の大山崎山荘美術館を訪ねて
(京都府乙訓郡)
2008.11.30
| 青のコレクション「ピカソの青、モネの青」 が開催されていました。 他にも、河井寛次郎の陶芸や芹沢_介の染色も青を主体として作品が 展示され、多くの人が鑑賞していました。 |
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| 燃ゆる秋を堪能!! 今年は、ことのほか、紅葉がきれいで、黄色、オレンジ、朱色、赤など色のハーモニーが織り成す、自然の妙が絶品でした。 お日様の光に輝く色づいた木々の葉の洪水!! 錦秋という表現が、ぴったりでした。 |
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| 妙喜庵(臨済宗東福寺派の寺院) 国宝の茶室待庵があり、千利休が唯一創作した茶室であろうといわれます。 現存する草庵風茶室としては日本最古のもの。(往復はがきで予約が必要です) JR山崎駅すぐ前 |
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| ←霊泉連歌講跡碑 室町時代の連歌師で 「犬筑波集」 を編纂したことでも知られる、 山崎宗鑑が住んでいたところと伝えられています 宗鑑は近江源氏佐々木氏の子孫で、足利九代将軍義尚に仕えていましたが 将軍の死後山崎に居住、山崎を姓とし書の揮毫や連歌の指導をします。 踏み切りを渡ってすぐ、天王山の登り口にあります。 |
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| 離宮八幡宮 嵯峨天皇の離宮であった「河陽宮」(かやのみや)があった場所に創建。 荏胡麻(えごま)油発祥地で、油の製造と販売の中心「油座」として栄えていました。 |
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「国盗り物語」(司馬遼太郎)には、一介の修行僧から 山崎の油商人を経て美濃の領主に登り詰めた ”斎藤道三”のことがかかれているそうです。 へえ〜斎藤道三って、山崎と関係があったんだ!! |
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| ↑本邦製油発祥地石碑 平安時代末頃より燈明用の荏胡麻油の生産が始まり、 鎌倉時代には油の製造販売を山崎の油商人が独占していました。 以後、江戸時代になって菜種油にその座を譲るまで 山崎の油は全国に知られていました (荏胡麻はシソ科の一年草) |
↑油祖像 |
| ↑かしき石 離宮八幡宮の南には淀川が流れ、嵯峨天皇の河陽宮のあった頃には 山崎橋がかかり河岸に相応寺、橋の上流には山崎津(港)がありました。 かしき石はその相応寺の塔の心礎であるといわれています。 |
↑嵯峨天皇の離宮であった「河陽宮」(かやのみや) |
| JR山崎駅すぐ 乙訓郡大山崎町大山崎西谷 |
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| アサヒビール 大山崎山荘美術館 2005.11.19 |
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本館は、関西の実業家加賀正太郎(1888〜1954)が自らの山荘として |
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| JR京都線山崎駅(普通しか止まりません)下車。 踏み切りを渡ると、この看板が見えます。 そこを右手にかなり急な坂を上って行きますと・・・ |
トンネルが・・ | トンネルをくぐると、なだらかな斜面に沿って、 庭が見えてきます。 (駅から歩いて10分くらいです。) |
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| 入り口に到着。すごい人です。 入館料700円 |
調度品は、レトロで、重厚感があって素敵でした。 | オルゴール”Polyphon Giant(ポリフォン・ジャイアント)” 専用のコインを入れると演奏が始まります。 係りの人が1時間ごとに,手動で動かしていました。 1895年ドイツ製 |
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| 座り心地が、ものすごーくいいソファでした。 しばらく、座ったまま、当時の人々のここでの暮らしを想像しては、ためいきの連続でした。 |
陶工濱田庄司(はまだしょうじ)・バーナード・リーチなどの作品も展示されていました。 |
蘭栽培用の温室
「蘭花譜」とは、加賀正太郎氏が大山崎山荘内で 栽培した蘭1,140種のうち、 優良種だけを計104枚の植物画にまとめ、 昭和21年(1946年)に 編集・刊行した蘭の画集のことであります |
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| 文豪夏目漱石も山荘を訪れ、隣接する宝積寺(通称宝寺)を眺めながら「宝寺の隣に住んで桜哉」の句を残したそうです。 | 2階のテラスからの眺め。 ウィンザー城からのテムズ川の流れの記憶をもとに、 木津、宇治、桂の三川が合流する天王山麓に土地を購入したのが、山荘の始まりだそうです。 |
テラスから庭を望むと、イロハモミジや桜などの木々が、 庭を錦に彩っていました。 |
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| 新館は「地中の宝石箱」とも呼ばれる、地中に位置するギャラリーです。 円柱形のギャラリーは半地下で、円柱上部は植栽が施されています。 これにより、ギャラリーとまわりの景観との調和が生まれました。安藤忠雄氏設計。 フランスを代表する画家クロード・モネ(1840〜1926)が描いた「睡蓮」をはじめ アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)の彫刻などが展示されていました。 |
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京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原5-3 | 大山崎山荘美術館のコレク ションの多くは 加賀の友人でもあった実業家山本爲三郎が 収集したものです。 山本爲三郎は加賀正太郎と同じく大阪船場の出身。 加賀はニッカウ井スキーの創設者のひとりですが、 山本は現在のアサヒビールを起 した人物です。 山本は単なる実業家の枠に収まらない、 一種の文化人ともいうべき存在でした。 |
| 宝積寺 山荘を出て、少し山手に登ること5分。 |
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| 羽柴秀吉が戦勝に対する礼として一夜にして建てたといわれている三重の塔。 | このお寺は、山崎の合戦時、秀吉が本陣としました。 |
| 宝積寺 通称 宝寺と言い、現在は真言宗智山派智積院の末寺。開山の祖 ”行基菩薩 ぎょうき
” 養老七年(723年)十一月二十三日、聖武帝がまだ文武帝の太子の時、夢に龍神が現れ、打出と小槌を遣わされ、 その後七十五日にして、元正天皇の御譲を受けて神亀元年二月四日、帝に即位 された。 そのほかにも、一寸法師にまつわる話も伝わっています。 |
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| 平安時代には、藤原定家はよく当寺を訪れ、彼の日記『明月記』にもその様子が記されているそうです。
また、夏目漱石も訪れ「漱石日記」にその模様が楽しく描かれているそうです。 |
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| 天王山・・・海抜270メートル。淀川に臨み、対岸の男山とともに京都に通ずる道の狭隘(きようあい)部をなす。 また、1582年の山崎の戦いで、豊臣秀吉軍が明智光秀軍を撃破したところ。 |
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小さな旅
2005.11.19
2008.11.30