北野天満宮
(京都市上京区)

          初詣       2009.1.7
糸人形・・・(楼門の裏側に源氏物語1000年を記念して、奉納されていました)
明治8年、疾病退散を願って、地蔵盆の供養のため始められました。
西陣の夏の風物詩”笹屋町造り物”として親しまれ続けました。
ハサミを入れず、針で止め、豪華に飾りつけ仕上げられます。(案内板より)
もう、梅が一輪ほころび始めていました

2008.12.24
松向軒
北野大茶会の折、細川三斎が茶の水を汲んだといわれている
井戸がある。
影向松
初雪の日に御祭神がこの松に降りてこられ歌を詠まれるという
言い伝えがある。
渡辺綱の燈篭
渡辺綱は、大江山の酒呑童子退治や一条戻橋(もどりばし)で
鬼婆の腕を切ったで有名。
美男子だったとか・・・


こんな所に、燈篭ってあったかなあ??
今まで、気がつかなったです。


明日は、終い天神です。沢山の人出になるでしょうね。
参道は、その準備で忙しそうでしたよ。
大福梅を、今年は、一日早く買って帰りました。

終い天神
天満宮の縁日(毎月25日)の中でも特に12月25日は、
終い天神と呼ばれ京都の行事の締めくくり、師走の恒例神事として多くの参拝者で娠わいます。
2007.12.25
御后三柱(ごこうのみはしら)(社殿の裏にあります))

”もみじ苑”
天神さんに新名所ができていました。H19年秋初公開

御土居の紅葉
北野天満宮の境内西側には、天正19年(1591)豊臣秀吉が洛中洛外の境界また、水防のために築いた土塁「御土居」の一部が残り史跡に指定されている。
その史跡御土居には、現在でもかつてからの自然林が残り、四季に応じ様々な美しさを感じることができる。
なかでも秋の紅葉は菅公がこよなく愛でられた梅と同様に御縁の樹木で、御土居一帯にはおよそ250本、樹齢350年から400年のものが数本あり、
菅公の御神徳を偲ぶかのごとく鮮やかに彩られる。
また、御土居にはかつて紙漉き場であった紙屋川が流れており、赤や黄に見事に染まった木々が紙屋川の水面に映え渡り錦秋の世界へ誘う。

(北野天満宮HPより)

御土居の紅葉の石碑
2年間前の夏に来た時に比べると、散策路もでき、
赤い橋も設置されていて、かなりきれいに整備されていました。
11月15日から12月9日まで、公開されていたようですが、
今は、立ち入り禁止の立て札があり、上から眺めるだけ。
しかも、入苑拝観料は600円だそうで、ちょっと、高いような気がしましたが・・・

骨董市も賑わっていました。
今回は、勇気をふるって蓋物の陶器の値段を聞いてみたら、
ナンと、4万円。明治時代のものだそうで、
大正時代の中皿は、五千円でした。
大福梅(おおふくうめ)
 1袋(約6粒入り)500円
村上天皇の御代(951年)より続く、正月元旦の祝膳に使います

去年は売り切れていましたが、今年は、買うことができました。
今年の終い天神は、ちょっと肌寒い曇り空でした。
天神さんへの道を尋ねられた方は、ナンと、静岡から青春18切符で始発に乗り、4,5回乗り換えて、来られたそうですよ。
骨董市が目的だとか・・・ひえ〜パワフルだなあ・・・

終い天神に行ってきました。
お天気もよく、暖かだったので、ご覧の通りすごい人。
本殿の鈴の前は、お参りの順番待ちで長蛇の列でした。
三光門(中門)
お正月用に”大福梅”(北野梅林にて採集し調整した梅干)を、
買おうと思って来たのに、
今年は、売り切れていました。(そんなことも、あるんだあ・・)
代わりに”屠蘇”を買ってみました。

屠蘇とは、数種の薬草を組み合わせた
屠蘇散を浸したみりんや酒。
延命長寿を祝って年頭に飲みます。

「屠蘇」とは、蘇と称する悪鬼を屠(ほふ)るという意味から、
年頭にあたって一年間の疾病を払い、
長寿を願うものとされてきたました。

さて、本日のお昼ご飯は・・・
天周”は、ゴマ油ベースで揚げる関東風の天ぷらで
す。
四条通の北側、南座の斜め向かいにあります。

京都府京都市東山区祇園四条通縄手東入北側
定休日・・毎週水曜日
名物 穴子天丼    1,000円
揚げたての穴子のてんぷらが3本ものっていました。
天つゆが、おいしく、あっという間に、完食です。
評判のお店だけあって、おいしかったです。

今度は、かきあげ丼が、食べてみたいなあ。
そして、おやつは、これまた、評判のお店”わらび餅の茶洛”(お持ち帰りだけ)
行列ができ、11時開店から30分から1時間で売り切れることもしばしばとか。
12時半ころに行きましたが、行列なしで、すぐに買うことができました。
やっぱり、夏の方が本番なのでしょうか?それとも・・・
北区紫野東藤ノ森町10−1
(堀川鞍馬口を西へ
鞍馬口通りに
に面しています
茶色のニッキ味と緑色の抹茶味が半々ずつ入っています。
あっさりとした甘さで、口の中に入れると、
トロッと溶けてしまいました。
(私には、ちょっと、頼りない気がしましたね)
2006.12.25
今回は、「京都三鳥居」のひとつである伴氏社(ともうじしゃ)の鳥居を紹介します。

北野天満宮の”三の鳥居”のすぐ手前、楼門に向かって左側に、ひっそりとたたずんでいました。
うっかりすると、見過ごしてしまいそうなくらい、小さな社です。
それに、行ったのが、終い天神の日(12月25日)でしたので、
屋台のお店がひしめく中、店と店の間に挟まれ少し、窮屈そうでし
道真公の母君が大伴氏の
出身であることから、
伴氏社(ともうじしゃ)とよばれています。
額束正面
島木を貫通して笠木まで延びているように
見える額束が、この鳥居の特徴だとか・
もうひとつの特徴は、台座に刻まれた
珍しい蓮弁だそうです
京都三鳥居残りのひとつは、厳島神社の鳥居。厳島神社は、京都御苑内の九条池に浮かぶ
小島に建つ小さな神社。
2本の柱の上に架かる島木(2本の柱の上に架け渡す横木)と笠木が唐破風のユニークな形をしています。
そして、もうひとつは、蚕ノ社の三ッ鳥居。本殿横の池に祭られており、キリスト教の遺物ともいわれる
謎めいた存在だそうで、明神鳥居を3つ組み合わせたその形は、他に類を見ないようです。


参考・・・平安神宮の鳥居・・高さ24.4mの日本最大級の鳥居だそうです。
鳥居は神社という神の聖地と人間世界との境界を表すもので、神社のシンボルであり
聖域の入り口ともいわれています。
いつ頃から鳥居が出現したかは不明ですが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸隠れのとき、
鶏を鳴かせ、舞を舞ったら岩戸から出てきたため、神前に「鶏居」という鶏の止まり木を
立てるようになったとか、神様が「通り入る」という言葉が転化して「とりい」になったとか色々説があるようです。
普段何気なく、見過ごしている”鳥居”について、ちょっと調べてみました。
鳥居は造りによって60種以上。
鳥居の構造は、二本の柱と柱の上にのせた笠木(かさぎ・・鳥居や門・塀・手すりなどの上端に渡す横木)、
その下に平行して通された貫(ぬき)という柱の組み合わせが基本です。
貫が二本の柱を貫いていれば明神(みょうじん)系鳥居、貫いてなければ神明(しんめい)系鳥居と2種に大別さているようですが、
例外もあるようで、明神系は、笠木の下に島木(しまぎ)という横木が敷かれているのも特徴で、
全国的にこの系統が多く見られるそうです。
また、「反り増し」と呼ばれるゆるやかなカーブがあるのが明神で、無いのが神明だそうです。
明神鳥居の貫が柱の部分で終わっているタイプの鳥居が、 「中山鳥居」だそうですよ。

なぜ、鳥居は朱色?・・・一般的に稲荷神社の鳥居は朱色をしています。
朱色はとても高価で、魔除けの色として重宝されてきました。
そのため、高貴な人の住居にも決まって朱色が使われていたそうです。

今度、鳥居を見かけたら、ちょっと注意してみて見るのも、興味深いかもしれませんね。
明神鳥居神明鳥居
2005.12.25
夏越の大祓(なごしのおおはらえ)
茅の輪(ちのわ)くぐり
に行ってきました。

夏越(なごし)天神ともいわれ、
酷暑の真夏をひかえ庶民の健康と厄除け・
無病息災を願うための「茅の輪くぐり」。

この夏越の祓は「水無月祓」とも呼ばれ、
すでに、天武天皇の時代から、六月晦の日に
、内裏朱雀門に、 天皇以下百官が集まり、
茅輪の祓物をくぐって邪気を払ったとされています

6月25日は、御祭神菅原道真公御誕生の日
(承和12年(845)の6月25日京都で誕生され、
延喜3年(903)2月25日に太宰府の配所にて
薨去され
ました。)


←楼門の茅の輪


この暑さにもかかわらず、すごい人でした。あつ〜い!!

伴氏社(菅公の御母君伴氏を祀る)
出店と出店の間に、ひっそりと・・・

楼門の茅の輪

楼門の左

楼門の右

絵馬所
ちょっと、休憩しょうかな?

三光門をくぐると・・

国宝の社殿(桃山建築)の前に
”茅の輪”がありました
(茅の輪の向こうは、三光門の裏側です)

六月三十日に、イネ科の多年草「茅萱(ちがや)」で作られた
茅輪をくぐって半年間の穢れを祓い、
息災を祈る神事が、「夏越の祓(なごしのはらえ)」です。

左回り、右回り、左回りの順で「∞」の字を描くように
3回くぐり抜けて参拝します。

ちょっと、裏にまわると、”お土居”がありました。
”お土居”とは:豊臣秀吉が造った
市内をとりかこむ約22kmの土のかべと堀。
これは外からの敵に備えるためと
鴨川の氾濫から町を守る堤防として役割を果たし、
京の中(洛中)と外(洛外)を分ける境にもなりました。
今はお土居はほとんどなくなりましたが、
何ヶ所か残っているひとつです。

”お土居”にある立派な”けやき”。
さっきまでの、雑踏は、嘘のような静けさでした。


道真公のお生まれになったのは6月25日。
それがなんと「丑の年、丑の日、丑の刻」。
牛とは、縁が深かっかたのですね。

この牛をさすり、
自分の身体をさすると、
その部分が良くなるという。

道真公は、京の都を追われ、
大宰府に流された2年後に亡くなったのですが、
その道真公の遺体を牛車に乗せて運んでいたところ、
牛車を引いていた牛が急に止まって動かなくなり、
その場に座り込んでしまったのです。
それが天啓ということになり、
そこに道真公の遺体を埋葬し祀ったのです。
その地が大宰府天満宮だといわれています。

1587年に豊臣秀吉によって開かれた北野大茶湯の際に、
茶の湯を汲んだとされる井戸です


でも、井戸のまわりは、
車でいっぱいでした。
2005.6.25

 今年も終い天神に行って来ました。すご〜い人で社殿の鈴の前には、なが〜い列、そして、大福梅を買うのにも、またまたすご〜い人でした。

「こち吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」

ここは学問の神様として親しまれている菅原道真公を主神としてお祈りしたお社で、今を去る千余年前 村上天皇の天暦元年(947年)に、御神託により王城鎮護の神として全国天満宮最古のお社であり、古来産業の守護神としても衆庶の篤い信仰をあつめた。
九州の太宰府へ流刑となった平安時代初期に活躍した学者の菅原道真公が亡くなった後、京都は落雷、地震が続いたため、
道真公のたたりだと思い、霊を慰めようと創建されたものですが、いつしか「天神さん」の愛称で親しまれる、

全国受験生の合格祈願で有名な神社として知られています。
社殿は豊臣秀頼が寄進したもので、拝殿とともに国宝であり、八棟造りといわれる屋根は日光東照宮にも継承されています。
境内には、史跡や伝説の遺跡が多く、表参道の松林は、秀吉が北野大茶会を催したところです。

毎月25日には“天神さん”と呼ばれる縁日があり露店や骨董品店などで大変賑わいます。


三光門(中門):
彫刻の中に日月星がある
社殿(国宝) 明月舎(東門の近く) 文子天満宮:菅原道真を祭神として
北野天満宮を創建するきっかけを
作った多治比文子を祀っている
神社である(北門近く)
梅園:梅花祭は2月25日
松向軒:北野大茶会の折、
細川三斎が茶の水を汲んだと
いわれている井戸がある。
東向観音寺:一の鳥居をくぐって参道のすぐ西(朝日寺) 伴氏社:菅公の御母君伴氏を祀る。
(東向観音寺の奥)
竃社:東門近くに「竃社」と呼ばれる小さな社があります。
これは、台所の神様で、参拝すると料理が上手になるのだそうです。

天神様として世に親しまれ又、梅鉢の紋に代表されるように梅とは深い結びつきがある。
この梅園境内一円には、梅約2000本を数え、極めて種類が多いこと(約50種)で有名であり名品も数少なくない。
照水梅・臥竜梅・金筋梅等の珍種や白梅・紅梅・紅白咲きわけ、一重・八重の梅が咲き薫る風情は独特の趣があり、古より都内随一である。
梅花祭
(菅原道真の命日にあたる2月25日)には上七軒の芸妓・舞妓さんによる野点が行われます。
 梅園西側一帯の御土居(史跡)は豊太閤天正19年、洛中洛外の区画を定め、其の境界と水防とのために築造されたもので、
この御土居は其の名残りである。川は紙屋川にて昔、紙が漉かれた。紅葉の美しい景勝の地である。
 開花は12月下旬より、4月上旬に亘る。
 梅の実を採取して、正月の大福梅として授与する。
大福梅
毎年12月13日から配られ、これを元旦に白湯に入れて食べると1年間無病息災でいられると伝えられています

また境内のいたるところにある牛の像は、菅原道真公が亡くなられたのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから奉納されたもので、この牛の頭をなでると頭が良くなると信じられているところから、いつも人の手で磨かれ、ピカピカに光っています

※市バス北野天満宮から徒歩1分

近所のうまいもん・・天神堂のやきもち(一個100円)

北野天満宮オフィシャルサイト

一口メモ:怖いときの「くわばら、くわばら」は、天神さんと関係がある?

「桑原」というのは菅原道真が治めた土地の名前です。ここには一度も落雷がなかったことから、カミナリ除けのおまじないとして「くわばら、くわばら」と唱えるようになったとか。

ご近所さん:上七軒と千本釈迦堂のページへ

 祭りと行事

2004.12.25